現代において自分が物を書かなければならない必然性
が、圧倒的に欠けてしまっている。
というかそのへんのことをきちんと見出すことができていないのが、最近筆が止まっている原因なのかなと思う。
あるいは、そういったものがなければ筆が進まない程度にモチベーションが元から低いと言ってしまってもよいのだが、それだと元も子もない。自分は「本物」でもなんでおなく、仮初の弱さで何かを打ち立てたいと願っているのだから。
それは圧倒的な傲慢であり世間知らずであり、そういうのは多分中学生ぐらいの時に捨てておいたほうがいい思想なのだとは重々承知なのだけど。
いや承知していないからずっと続けて来ているわけだけど。こういうナルシスティックな自己分析をするまでもなく。
あまりにも物を書く人間が多すぎて、自分という人間のバリューをどう出すべきなのか、大した努力もしないで考えることは滑稽極まりないし、かといって自分は今の生活に相当満足してしまっている。
そのため、何か自分を突き動かす根源的な欲求、もしくは欲求不満に支えられた情動というものが希薄だ。
自分に何かトラウマチックなものがあればそれがマナとなって、スペルカードを唱えるだけの余裕が生まれるのだと思うのだけど、今現在「不毛の大地」ってやつである。アンタップしてえ〜〜〜
ともかく、何か別次元で自分がやるべきことを探す必要しかない。探すだけじゃなく、手を動かしてゴミを生成しながら、自分が敷くべきレールを作り上げていくしかない。
換言すれば、結局のところ「運命」というやつを求めているのではないかなという話なんだろうな、これはという気がする。既存の宗教を信じることもできず、かといって自分で宗教の打ち立てる実力がこれっぽっちもない無神論者の行く末がこんなものとは思いたくない。
休題閑話
「ミッション」とやらを打ち立ててエネルギーにする人をよく見る。もともとの発想の出自がプロテスタンティズム(にあると偉い学者やそれに影響を受けた人々が言っているだけかもしれない)なのだから当たり前だけど、かなり宗教的な発想だなと思う。
そういう人間が宗教的なものを毛嫌いするのはどういう了見なのか? と一瞬思ってしまうが、別に新しい軸での宗教戦争をやっているだけに過ぎないと思ってしまえば、特段目新しいものでもなかった。
宗教的態度自体は問題なくて、何を信仰するのかが大事なのだ、という反論がミッションマンからとんできそうだ。
その場合、僕からのささやかな抵抗としては、ミッションという正義を振りかざすなんて遅れている、と発言することなんだけど、
正義うんぬんみたいな話自体がそもそも時代遅れ感MAXすぎて話にならなそう。
「こういう地味に保険に保険をかけたような文章って要点全然わかんないしゴミ以外の何物でもない」という保険を扉の下に入れておく。
それにしても何も推敲せず、思いついたままに文字を書き連ねる行為も意外と楽しいものだ。排泄以外の意味があるのかと問われると相当怪しいんだけど、世の中にはスカトロマニアもいるということだし、自分の糞磨きにもなると思うから、なんとなくこれからできるだけ毎日糞を公開していきたい。羞恥心を投げ捨てて3千里。3千里の道も一歩から。スカトロ垂れ流しながら歩き続けるの楽しそう。後ろ振り返ったら魑魅魍魎の大行列、みたいな現象になったら百鬼夜行みたいで素敵やん?