名状しがたい偽者

思考よ止まれ そなたは美しい

NUKI! NUKI! DEADHEAT! 前出し

2008年くらいに書いたもの。脚フェチの男の話を頭わるそうに、でもあんまりいやらしくならないように書きたかったような気がする。3部構成にしたのは前出し・中出し・後出しという言葉を使いたかっただけという……

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=通常時の心象風景=

 「足があれば全ては満ち足りる」俺は常にそのように思う。女一人に強い思いを抱くのにそんな深い理由なんて全然必要ではなくて、ようは足が美しければそれでいい。その意味で英語でいうところのenoughという意味が、日本語においては「足りる」という文字で表現されていることに俺は深い感慨を覚える。何故「足」という漢字がenoughの意味で用いられているのか、その本当の歴史背景については正直全然知らないし進んで調べたいという気持ちなんかこれっぽっちもないけれども、とにかく昔の偉い人はかなりグッジョブである。

 しかしながら、これまた困ったことに俺は女という生物そのものが好きではない。むしろ嫌悪していると言っても良い。なんだかこんなことを言うと俺がまた偏屈で捻じ曲がった人間かのように思われてしまうかもしれないけども(そしてそれはもしかしたら当たっている部分が多分にあるのかもしれないけれども)、世の中の男は多かれ少なかれ俺のような気持ちを持っていることを俺は確信している。別に俺は女性経験の欠如からこのような感情を持つように至ったわけではない。別に経験が多いわけではまったくなく、せいぜい大学生のうちに2人だか3人だかと付き合ったことがある程度だけど、そういう経験を踏まえてもやっぱり俺は女という生物が嫌いなのだなあと思う。

 ネットを巡回していると、よく女の生態をコケにする文章を見ることが多くて興味深い。その中でも結婚について高名な哲学者たちが残した言葉がおもしろく、例えばトルストイの「正しい結婚生活を送るのはよい。しかし、それよりもさらによいのは、ぜんぜん結婚をしないことだ。そういうことのできる人はまれにしかいない。が、そういうことのできる人は実に幸せだ。」だとか、バーナード・ショウの「結婚をしばしば宝くじにたとえるが、それは誤りだ。宝くじなら当たることもあるのだから。」という格言には彼らですら女と一緒に生活をすることを悪と思っている節が感じ取られる。だからといって結婚したいやつはすればいいと思うし、別に他人のことにとやかく言うつもりもないけれども、俺はこういう文言が乗っているページを見るたびに女ってのは割と最悪な存在なんだよなあという認識を深めるに至るのである。

 大体日本では女がちょっとのさばりすぎていると思う。多分俺のこの思いも、男性のうちの何割かはきちんと同意してくれるのではないだろうか。特に電車に乗るたびに俺はそのことを思い知る。通勤時間帯の電車の中は人で満ち溢れていて一両あたりの暴飲暴食も甚だしいくらいだが、女性専用車などというものが出来上がって以後、俺はこの国には女性特権というものがあるのだということを明確に意識するようになった。何故どうして俺がこんなクソ暑い中を我慢しているのに、女というだけであんながらっがらのスペースを利用することが出来るのだろうか…もしかしたら女性専用車の出来る理由となった痴漢犯罪者諸君の方を憎むべきなのかもしれないが、しかし眼前でくつろいでいるやつらは痴漢犯罪者ではなく勿論女どもなのであって、やはり怒りをぶつける相手として女というのは適当な相手のようにも思える。

 これだけで話が終わるようならまだいい。問題は俺が利用している車両の中にも存在しているのだ。女どもの数割は、女性専用車のほうが空いているというのになぜかこちら側の車両で押し競饅頭を繰り広げている。ここのところがどうにも理解できない。こっちの車両のほうが目的駅にある階段の方に近いのか、それとも女性専用車について批判的な意見を持っているのか、それについては謎である。ともかく、ただでさえ男だけでも人口が多いというのに、そこに女の人口をを加えてしまったら総数が増えてしまうというのはもう幼稚園児でもわかる理屈なのであって、彼女らの思考というのがまったくわからない。男性の一部諸君の間には、男ばっかでむさくるしい中よりも華やかな女性がいたほうがいいとする意見を持つものもいるかもしれないが、私の意見は逆である。下手に近くにでも寄られたら最後、最近の根性が腐りきった女どもに痴漢男として仕立て上げられる可能性がまったくないとは言い切れず、しかも痴漢の有罪率はほど100%だとか言うから恐ろしい。痴漢の証明なんて極めて難しいにも関わらず、大した捜査もないうちにたちまち犯罪者にされてしまう。これが恐怖といわずになんと言おうか。平穏な毎日が第一と考えている俺にとって、そのようなアクシデントは悪夢以外の何物でもない。日常は非常にデリケートなもので、きちんと意識を働きかけていても壊れてしまうことがあるくらいだ。故に俺が神経質になってしまうこともおかしくないということが言えるわけで、聡明な紳士淑女の方々にはその俺の思いのたけを理解していただくことが出来ると思う。

 それだけではない。女が男に及ぼす影響は、破裂寸前の車両を圧迫し、人を犯罪者に仕立て上げるだけでは足りないのだ。これはまさに俺の出勤時刻が丁度高校生の登校時間とぶつかってしまっていることに起因している。皆さんもご存知だと思われるが、女子高生という人種はとにかくよく喋る。もう喋るという行動しか出来ないのではないかというくらい喋る。朝の電車では皆の暗黙の了解の下、沈黙を守ることが義務付けられているはずなのだが彼女らにはそれが全然伝わっていない。多分学校の授業でも教師の言葉など右の耳から入って左の耳から抜けていってしまっているのだろう。誰も喋られない蒸れた車内の中で、群れた女子高生は大きな声で人目をはばかることなく大声をかき鳴らす。しかも内容がまともならまだいいが、残念ながら女子高生にそのようなことは不可能である。教養という存在が疎かに扱われているこの国では(他の国でもどうか怪しいものだが)彼女らを何かについて雄弁に語らせることは不可能であり、ただ単に駄弁るだけである。別にこちらとしてはお前らの彼氏がどうだとか、クラスのあいつがキモいだとか、そういうことはどうでもいいただのノイズなのであって、どうしてそのような無価値な情報を発信することに全力を注いでいるのかがわからない。家から駅まで近い俺の出勤は事実上電車に乗ったところからスタートすることになるのだが、このようにそれは最悪な形で幕を開けるのである。

 しかし、物事とはなかなかにシンプルにはいかない。RPGゲームで装備品に武器しか買わないだとか盾しか買わないということがないように、常に人は矛盾を装備していたりするものである。電車から降りると変化することが主に二つある。一つは圧迫感からの開放であり、これは俺にわかりやすい喜びをもたらしてくれる。電車から降りた後は駆け足気味のおっさんどもに押されながらも、やっとのことで開放されたという強い思いから少しだけ幸せな気分に浸ることが出来るのである。しかし俺にとってもう一つの変化がより重要なのであって、それは電車から出ることにより女の足が目の前で露になるということである。電車の中では人のゴミに囲まれて下方向を見ることは軽く不可能に近いのだけれども、開放された途端嫌でもそれが目についてくる。おっさんの中で短パンなんぞ穿いている人間なんぞほとんどいるわけもないので、余計それが目立った形で目の中に飛び込んでくる。こうなるともうお手上げである。俺の目線は先ほどまで心の中で悪態をついていた女子高生たちの足に全神経を持って固定され、余計なことを言わせていただければ俺の息子が胴体を持ち上げ始めるのである。

 これは危険な兆候であると自分でも思う。俺は自分の中で相反する感情と欲求を上手く満たせずにいる。俺は女という人種、とりわけいかにも「ザ・私はバカ」みたいな風貌の女子高生には明確なる敵意を持ってはいるけれど、皮肉なことに俺が肉体的に好みを感じるのはまさにその「ザ・バカ」の足なのである。何故あのような馬鹿どもに限って、肉感的で非常においしそうな足を供えているのだろうか。そのことがとにかく俺をいらつかせる。所詮若いだけが取り得のようなやつらの癖に、何故俺の精神面をここまで揺さぶってくるのだろうか。女の足は害悪にしか過ぎない。いっそどこかの風俗にでも行けばいいのかもしれないが、俺は個人的に風俗というものを毛嫌いしているからそれは出来ない。そもそもあれはオヤジどもの行く場所であって、俺はやつらと一緒にはなりたくはない。女の足を見つめるときも、俺は自分がそいつらと同じようなメンタリティを備えてしまっているのではないかという思いに駆られ自己嫌悪に浸る。たまに見かける女の足を凝視することしか脳がないようなおっさん-----そいつらを見ると軽蔑の目を向けるのとともに、自分もそいつらと大して変わらない存在なのだと思うと自分が信じられないような気持ちになる。

 そのようなわけで、俺は最近出来るだけ女の足を見ないようにしている。見ないようにしているといってもただ単に目をそむけるだけでは効果は不十分で、特に俺好みの足が視界に入ってしまったときは何度もそちらを見たくなってしまうという欲求に駆られることになるから、もう自分が女の目を視界に捉えることのないよう抜きさるのである。抜き差ってしまえば、さすがに俺も振り返ってまで足を見ようとはしない。問題はいかに自然に彼女らを抜かすかについてだが、幸いにして女ども、特に集団で歩いている女子高生の歩行スピードは亀よりも遅い。おそらくナメクジよりも遅いだろう。何故そこまで遅いのだろうか?学校に行きたくないのか、着くまでに何文字喋らなければならないという制約がありそのためスピードを落としているのか、思わず勘ぐりたくなる程に遅い。その遅さは朝のラッシュ時には非常に邪魔なものでそれも俺をいらいらさせるのだが、こと抜かすということに関しては好都合である。駅に降り立った瞬間、変に見えない程度の速度で彼女らを追い越し、会社へと向かうことが出来るわけだ。会社へ向かう道は先ほども述べたとおり結構な歩行距離になり、しかも同方向に高校があるためそこでもまた油断は出来ないが、まあ大体は抜き去ることで対処が可能な問題となっている。